「ペット可」という一行だけでは、猫を迎えられるかどうかは決まらない。契約書のペット条項が猫を対象にしているか(「犬猫可」なのか「小型犬のみ」なのか「ペット相談」なのかで意味が変わる)と、その部屋が猫にとって閉じているか——網戸が手で押すと外れないか、窓がどう開くか、バルコニーの柵に隙間がないか——は、別々に確かめる必要がある。この二つを混ぜたまま内見すると、契約は通ったのに網戸が指一本分浮く部屋だった、という食い違いが最後まで残る。
真夏の午後、築十二年というその部屋で、私はまず窓へ歩いていった。担当の人はリビングの真ん中で間取り図を広げ、「南向きなので日当たりがよくてですね」と話している。私はその声を背中で聞きながら、サッシのレールに指をかけた。網戸を下から軽く持ち上げる。カタン、と音がして、枠がレールから浮く。指一本分。猫はこの浮いた隙間に前足をかける。前足がかかれば、あとは体重で外れる。
「あ、これ、外れちゃいますね」と私が言うと、担当は「たぶん大丈夫だと思いますよ、皆さん普通に使われてますので」と笑った。たぶん、が私は苦手だ。たぶん、は退去の日に誰の記憶にも残らない。残るのは紙だけである。
だから私は、紙と網戸を分けて見る。以下はその順番の話になる。
書類は一枚ではない
賃貸の書類は、同じ封筒に入っていても一枚ではない。賃貸借契約書の特約条項、重要事項説明書、管理規約と使用細則、そしてペット飼育に関する覚書や同意書。書いている人も違えば、効く場面も違う。ある部屋では契約書に「ペット飼育可(小型犬のみ)」とあり、同じ封筒の覚書には「犬猫可、ただし要相談」と書いてあった。この二枚が食い違うとき、私は狭いほうに合わせて考える。可と書いてあるほうを信じたい気持ちはわかるが、退去の日に参照されるのはたいてい狭いほうだ。
「ペット相談」という言葉も、可ではない。相談は、答えが出ていないという意味である。答えが出ていないものは、まだ可になっていない。
そして、口頭で聞いたことは書面にしてもらう。理由は三つあって、担当者が変わること、大家さんが変わること、退去のときに残るのが紙だけであること。私は内見の帰りに、その日のうちにメールを送る。「本日は猫の飼育について、二匹まで可、網戸ストッパーの設置は可、退去時のクリーニングは契約書の特約どおり、というお話だったと理解しました。相違があればご指摘ください」——返信が来たら、それはもう口約束ではない。返信が来ないこともある。来ないなら、来なかったという事実ごと残しておく。
匹数は別の行に書いてある
「ペット可」と「○匹まで」は、たいてい別の行に書かれている。ここで止まる人が多い。猫は一匹で迎えるより二匹で迎えることのほうが多く、保護猫の譲渡でも多頭飼育を前提にした相談があるので、許容匹数の一行で部屋が決まらなくなる。一匹まで、二匹からは要相談、という書き方ひとつで、内見が三件増えることになる。
保護猫を迎える場合は、もう一段ある。譲渡を仲介する団体によっては、住まいの確認を求められることがある。契約書の写し、ペット可の記載、間取り。団体ごとに違うので一概には言えないが、「ペット可の物件に住んでいます」と口で伝えるだけでは足りない場面がある。ここでも紙が効く。契約の話と部屋の話を分けて持っている人ほど、この確認で詰まらない。
網戸は下から浮く
内見で私が最初にやるのは、窓を全部開けることだ。リビングの掃き出し、寝室の腰高窓、キッチンの小窓、浴室の窓。開けて、網戸を掌で押して、レールを下から持ち上げる。引違いの網戸は、下のレールから持ち上がる構造のものが多い。持ち上がるということは、猫の体重でも持ち上がるということだ。
窓は開き方で扱いが変わる。はめ殺しは開かないから、割れ物として考える。内倒しは、開けたときの隙間の形が違う。縦すべり出しは、開けると縦に穴が空く。同じ「窓」でも、猫にとっての出口の形はまったく違う。だから図面ではわからない。図面には網戸のレールの緩さも、サッシの固さも描かれていない。
バルコニーは、手すりに近づいて、下を見る。縦の桟の間隔、手すりの下の隙間、隣との仕切り板の上端。物干しの差し込み穴。ここまで見てから、はじめて対策の話になる。網戸ストッパーは穴を開けない形が多く、賃貸でも使いやすい。窓のガードにも突っ張り式や枠に挟む形がある。どの形も、管理規約で禁止されていないかを紙で確かめる。それから、避難経路を塞ぐ形は選ばない。バルコニーの目隠しシートも同じで、通風と避難に関わるから、規約と突き合わせてから決める。
原状回復の条項は、金額ではなく構造を書いている
契約書の原状回復の条項を、私は金額として読まない。構造として読む。ペットの飼育による傷みは借主の負担として整理される、というのが一般的な枠組みで、柱の爪とぎ、クロスの臭い、畳の傷みがその対象として並ぶ。退去時のクリーニングを特約で定める形もある。賃貸の原状回復そのものは、通常の使用による劣化は貸主、それを超えるものは借主、という線で整理されていて、ペットはその線のどこに置かれるかを特約が先に決めている。金額が書いていない契約でも、条項がどこにあるかは覚えておく。
畳の部屋なら、畳は一番先に傷む。爪とぎではなく、吐いたものと、走ったときの爪で。これは猫の性質ではなく、畳という素材の話だ。だから、畳の部屋を選ぶかどうかは、原状回復の条項を読んだあとに決めればいい。順番が逆になると、迎えてから条項を読むことになる。
更新のときに聞かれること
大家さんや管理会社が、更新の手続きのときに猫のことを聞いてくる場合がある。種類、頭数、去勢避妊の有無、室内飼いかどうか。迎えたときに写真とメモを一通残しておくと、その場で詰まらない。私は迎えた日付、首輪の色ではなく毛色と体格、避妊手術の日を一枚にまとめている。大げさな書類はいらない。聞かれて答えられればいい。
それでも、内見で私がやる順番
玄関を入って、窓、網戸、バルコニー、水回り、収納。スマホでサッシのレールと網戸の枠とバルコニーの柵を撮る。担当の人には「網戸が外れませんか」と「猫は何匹までですか」を、続けてではなく別々に聞く。続けて聞くと「大丈夫です」という一つの返事でまとめられてしまうから。帰ったら確認のメールを送る。
契約と部屋は、別の問いだ。契約が通って、部屋が閉じていて、はじめて迎えられる。猫は網戸を一枚開けられる。だから私は、紙と網戸の両方を見る。