キャリーを部屋に出しておくと猫が入るようになるのは、キャリーが「たまに現れる、捕まえられる箱」から「いつもそこにある箱」に変わるからだ。猫は新しい箱を無視できない生き物なので、危険な合図さえ消えれば、あとは自分から確かめに入る。ただし、置きっぱなしにするだけで済む猫は少ない。差がつくのは、嗅ぐ、横で食べる、乗る、中で数秒という段階の刻み方と、入口で体が後ろに下がったときに、段階を戻すのか、入り方の向きを変えるのかを見分けるところだ。

その見分けがつくまで、私はずいぶん遠回りをした。
うちでは、キャリーは六畳の隅、本棚の横に置きっぱなしにしてある。ここに落ち着くまでに、まず収納をやめた。それまでは、病院の前日の夜に押し入れから出すのが決まりだった。ふすまを開ける音、プラスチックの底が床に当たる音、ファスナー、金具。キャリーが床に着く前に、猫はベッドの下に消えていた。あれは訓練ではなく、こちらが毎回同じ合図を鳴らしていただけだった。
押し入れから出すのをやめる
出しっぱなしにした初日、猫は部屋の反対側から動かなかった。二日目、通り道で足が止まり、においを嗅いだ。三日目、頬を角にこすりつけた。順番は、段ボール箱を転がしておいたときと同じだった。嗅ぐ、こする、体重を預ける。猫が箱にやることを、キャリーにもやらせてやればいい。
呼び寄せてはいけない。おやつを放り込んで釣るのもよくない。それはこちらの都合で、猫からすれば「やはり何かある」になる。置き場所は、猫が一日に何度も通る場所にする。押し入れの中や、猫が普段入らない部屋の隅では意味が薄い。狭い部屋なら、キャリーは一脚の家具として床面積を取る。それだけの価値はある。
扉は外すか、開いたまま固定する。入口の扉がぶら下がって揺れていると、猫が鼻先で押した瞬間にパタンと閉まる。あれは罠に近い。上開きのものは上ぶたを外して、浅いトレー兼ベッドにしてしまう。中に入れるのは、洗ったばかりの新しいタオルより、その部屋で干してあったタオルのほうがいい。
病院から帰った日は、床に戻す前に底とタオルを洗って風を通す。キャリーには消毒のにおいと、猫自身が緊張したときのにおいが残る。そのまま戻すと、せっかくの「ただの箱」が数日で「あの日の箱」に戻ってしまう。
段階は、食べる位置を動かすことで刻む
扉を外した状態で、まず床に数粒。入口の外側だ。次に、入口の敷居の上。次に、底の手前、首だけ入れて食べられる位置。体は外に出ていていい。顔だけ入れて食べる、を何日かやって、それから全身が入る。
食べている最中に扉を閉めるのは、そのあとの段階だ。ここで一度でも「中に入ると閉じ込められる」を覚えさせると、猫は手前で止まるようになる。戻ってくるのに、閉める練習の何倍もかかる。
閉める練習に入ったら、数秒だけ。計るのは時計ではなく、餌の量だ。食べ終わって出口を探し始める前に開ける。開けたら、猫が自分で歩いて出てくるのを待つ。ここでキャリーを傾けて出したり、抱き出したり、追い出したりしない。最後の記憶が「放り出された」になると、今消したはずの捕まえられる感じが戻る。追い出せば、また捕まえるところからやり直しになる。
入口で後ろに下がったとき、読み取ることは二つある
前足が底に乗り、首を伸ばして奥を見回し、しばらくして後ろ足が半歩下がる。この後退と、キャリーから体一つ分離れた場所で伏せ、耳を後ろに倒して横へ滑っていく後退は、別のものだ。
前から押される形になっていないか
一つめは、入り方の向きの問題だ。猫は先の見えないトンネルに頭から入るのを嫌う。前から頭を押し込む形になると、なおさら入らない。上ぶたが外せるキャリーなら、上からそっと下ろす。前から押されるより、上から下ろされるほうを受け入れる猫は多い。上ぶたを外したまま浅いトレーとして置いておくだけでもいい。低い縁を越えて、上から入って、そのまま丸くなる。
段階が大きすぎたときの戻し方
二つめは、段階そのものが大きすぎる場合だ。体ごと引いて、隠れる、逃げる、という反応なら、一つ前の段階に戻して、数日そこに留まる。一度試して駄目だったから翌日もう一度、というのは私が何度もやった失敗だ。猫は昨日の失敗を覚えているというより、こちらが焦れているのを読んでいる。同じ段階を繰り返しても、うまくはいかない。戻すべきは段階で、気合いではない。
終わり方は、うまくいった日ではなく平気な日に
区切りは、猫がまだ平気なうちに切る。これが一番難しい。今日はうまくいったからもう一回、と言いたくなる。その一回が、たいてい最後の一回になる。こちらが立ち上がって台所に行く。猫は中に残っていてもいいし、出て行ってもいい。その状態で終われたら、次はもっと軽い。
キャリーが予測する行き先を増やす
キャリーが予測するのは病院だけではない、という話も書いておく。抱えて建物の周りを一周して戻ってくるだけでいい。ベランダで洗濯物をたたんでいるあいだ、足元に置いておく。中に入っているかどうかは関係ない。大事なのは、キャリーの予測が「下まで降りて、外に出て、また戻ってきた。何もなかった」に書き換わることだ。
爪切りもブラシも理屈は同じで、使うときだけ出てくる道具は合図になる。ブラシを床に置きっぱなしにしておくと、猫のほうから擦り寄ってくる。道具が家具になれば、合図は消える。
それでも、全部が消えるわけではない
どれだけ置きっぱなしにしても、病院で完全に落ち着く猫ばかりではない。うちの一匹は、診察台の上では今も固まる。それでも、キャリーを出すところから捕まえるまでの十分間は消えた。目指しているのは、嫌がらない猫にすることではなく、こちらの都合で猫を追い回さなくて済む状態だと思っている。
今、そのキャリーは本棚の横で、タオルが一枚入ったまま、ときどき寝床になっている。病院の日は、そのまま閉じて持ち上げるだけだ。合図は鳴らない。